今週の読書記録<7月-4>『食卓文明論−チャブ台はどこへ消えた?』

木曜は読書記録の日。
今週読了したのは3冊でした。
(09年目標100冊。現在66冊)


今週の一冊は、
『食卓文明論−チャブ台はどこへ消えた?』石毛直道)です。


日本の食卓は、
銘々膳からチャブ台へ、そしてイス・テーブルへと
変化をしてきました。


本書では、家族の起源から、
動物(ニホンザルチンパンジーなど)の食生活、
アフリカやニューギニアの家族と食事のあり方、
東アジアの伝統的な家族の食事、
そして、
日本の家庭の食卓風景の変遷を論じています。


特に印象的だったのが、次の2つです。


1.食べる道具

現在の世界の人口の約40パーセントが手づかみで食べ(手食)、
箸で食べる人びとと
ナイフ、フォーク、スプーンをもちいて食べる人びとが、
それぞれ30パーセントであるといわれている。


2005年4月に出版されている本ですが、
手づかみの人口が、まだそれほどまでに多いとは、
少々驚きです。
本によると、手食しているのは
アフリカ大陸、西アジアインド亜大陸、、東南アジア、中南米の先住民
だそう。


2.日本の食卓の今

わが国の伝統的配膳法は個別型に徹したものであった。
すべての食べ物を個人別の食器に盛り分け、
それを個人別の食卓である銘々膳に並べたのである。

家族そろって食事をするのが、日本の家庭の食事の原則である。


家庭とは、明治になってから使われはじめたことばで、
英語のホーム(home)の訳語であるいう。
それまでは、イエということばが使われてきた。

21世紀前半の世界は
文明と文化の摩擦の時代となるだろう。
(中略)

人類が築きあげてきた文明を
否定するわけにはいかないであろう。
反文明論にならずに、
多様な文化を共存させるための、
文明と文化の調和をはかることが、
これからの世界の課題である。


おなじことが、食の「外部化」についてもいえるであろう。


どのように、
「家庭の側の台所と食卓」と
「社会の側の台所と食卓」の折りあいをつけていくかが、
21世紀における人類の食の課題になるであろう。


特に、この「どう折りあいをつけるか」というのが
私自身、日頃モヤモヤとしていたこと。


全て手作りの食卓にしたいけれど、
時間、体力、精神力的に、困難な時があり、
ついお惣菜を買ってきたり
外食になってしまったり。


日頃から、
添加物まみれや、
脂肪、塩、砂糖の多い食品は摂りすぎたくない
国産だけでなく、できるだけ地元の野菜を食べたい
などの気持ちはあります。


しかし、それが実行できない
理想と現実のギャップに、
深い自己嫌悪におちいることも多々。


開き直っているときは、
開き直る自分に対して
「食を大切にしたいって言ってるのに、マヒしてるのかなぁ」と
ぼんやり思うこともありました。


結局は
「どう折りあいをつけるか」なんですね。
どうすればいいのか、という回答はないのですが、
私が日頃モヤモヤ感じていることが言語化されており、
とても共感しました。

チャブ台の時代の主婦は、
夫の好みを念頭において料理つくりをした。
現代の主婦は、子どもを考えて料理つくりをするという。

(中略)

それは、「イエの制度」を背景にもった
「たてまえ」の家族像がなくなり、
「ほんね」を重視する家族へ移行した結果でもある。

(中略)

外部化する家事のなかで、
社会の側のサービスに全面的にまかせることができない
家族の役割として最後まで残るのが、食事と育児である。


いずれも、家族の愛情に深く関わる事柄である。


個食化が徹底し、
家族のかこむ食卓のない家庭が実現するとき、
それは家族という制度が崩壊するときである。


家族と食卓は深くつながり
とても重要な意味を持ちます。


それぞれの人に、理想と多様な現実があります。
そのなかで
「折りあいをつけながら」
食事の時間が少しでも楽しいものでありたいと
心から思います。


【今日の1%】


折りあいをつけながら、食事を楽しむ。